和泉 時彦
发行日期:
1998-05-22
0000
都会から離れた山間の町を訪れたのは、11月も半ばのことだった。
おりしも、ちょうどその日は朝からあいにくの寒い雨で、久々に訪れ
る町は煙雨の中にけぶっていた。
わたしは、郷愁のためにこの町に来たのではなかった。都会の喧騒
から逃れるためでも隠遁するためでもなかった。老後の人生を考える
にはわたしはまだ若かったし、青春を謳歌するには年をとりすぎてい
た。晩秋にこの忌まわしき地を訪れたのは、20年前の罪滅ぼしのた
めであった。
****
0001
部屋は古いが、こぎれいな感じだった。きっとここの人間が働き者
なのだろう。
****
0002
【藍子】 『荷物はこちらでよろしいですか』
【加納】 『ああ、ありがとう。ここの娘さん?』
【藍子】 『はい、藍子っていいます。藍色の藍に子って書くんです。
あのぉ……』
【加納】 『なにかな』
【藍子】 『お髭、似合うんですね。わたし、加納さんがいらっしゃ
るの、ちょっと楽しみにしてたんです』
【加納】 『へえ、どうして』
【藍子】 『だって、電話で予約されたときの声、凄く渋かったんで
すもん』
【加納】 『じゃあ、がっかりさせちゃったな』
【藍子】 『そんなことないです。かっこいいし、背も高いし。なに
かスポーツでもなさってたんですか』
【加納】 『バレーとラグビーをね』
【藍子】 『へえ。あ、すみません、話し込んじゃって。いまお茶持
ってきますね』
****
0003
【加納】『いいから手を貸しなさい。ほら』
****
0004
元気な子だ。妹もあんな感じだった。いつも明るく、わたしのこと
ばかり見ていた。妹は真剣にわたしのことを愛していた。それがわた
しにはうれしくもあり、苦痛でもあった。
****
0005
【澪】 『お兄様』
【加納】『み、澪』
【澪】 『この前のように抱いて』
【加納】『ば、ばか、なにを考えてるんだ、おれたちは――』
【澪】 『お兄様もご存じのはずよ。わたしたちが血がつながってい
ないってことは』
【加納】『澪やめろ、昔のおまえに戻ってくれ』
【澪】 『うふふ、遠慮なさらないで。お兄様も好きなんでしょう?』
【加納】『う、澪』
【澪】 『ほら、もうこんなにさきっぽからおつゆをあふれさせて…
…澪が慰めてさしあげますわ』
****
0006
あれが幻であったならば、わたしはどれほど救われただろう。あの
鬼門館さえなければ、わたしの人生はもっと穏やかで苦痛のないもの
だったはずなのだ。
****
0007
藍子という旅館の娘が持ってきてくれたお茶をすすり、早めの食事
を済ませると、わたしは階下に降りた。
****
0008
【藍子】『加納さん、お出かけになるんですか』
【加納】『ああ。少しね』
****
0009
山間は日が沈むのが早い。
わたしが表に出たときには、すでに暗がりが町を覆い始めていた。
雨の降る日没時に外を出歩いている者はいなかった。だが、そのほう
がわたしには好都合だった。わたしは、だれにも会いたくなかったし、
だれにも行く先を知られたくなかったのだ。
****
0010
20年の歳月の重みにいまにもひしゃげそうになりながら、鬼門館
はひっそりと夜のなかにたたずんでいた。かつては毎日のように植木
師の手が入っていた庭も深い茂みに変貌し、ただ荒れ果てた姿をさら
け出していた。
噂ではただの一度も買い手がつかなかったということだが、あのよ
うなことがあれば無理もない話だった。
わたしは、人影のないことを確かめてほっとした。
ただでさえ人のよりつかぬ気味の悪い洋館にわざわざ夜を狙って足
を運んだのは、人に知られたくないという自分勝手な願望と、彼女た
ちを弔いたいという罪滅ぼしの気持ちからだった。
****
0011
かつて妹の澪とともに不安と希望を抱いて訪れた玄関は、ほとんど
朽ち果てていた。
ここは、わたしにとってすべての始まりの場所であった。20年前、
わたしはここで女主人のせつらから説明を受け、愛すべき小悪魔、早
百合と出会ったのだ。
****
0012
【加納】『あ、あの、加納大介です……よろしく』
****
0013
【加納】『苦手じゃないけど』
****
0014
【加納】『え、あ、あの……教えてほしいことがあるって言ってたん
じゃないの』
****
0015
わたしにとって、早百合は教師だった。あのような狂乱の世界を受
け入れるようにわたしを教育したのは、ほかならぬ早百合であった。
わたしは彼女を通して快楽を肯定し、倒錯の世界へ踏み出したのだ。
****
0016
部屋のすみっこにはクモの巣がかかり、テーブルや食器棚は埃に埋
もれ、かつて20年前にわたしたちが食事をとった憩いの場は昔の面
影もなく変わり果てていた。
いくばくかの悲しみが思い出とともにわたしの胸に去来した。澪の
笑い声が、早百合の男っぽい口調が、せつらの叱り付ける声がわたし
の耳を打った。わたしは、いつもびくびくしながら後ろで控えていた
志穂乃の姿を思い出した。志穂乃はよく皿を割ってはせつらにおしお
きをされていた。いくらおしおきをされても、直らなかった。いま思
えば、彼女はマゾだった。自らおしおきされることを追い求めていた。
そして女主人のせつらは、志穂乃を責めることを楽しみにしていた。
****
0017
わたしは回想から叩き起こされた。
なんの音だ? この洋館には人はいないはずだが……まさか泥棒?
わたしは己の心臓の鼓動におののきながら玄関に戻った。
****
0018
人の気配はない。だれかが入ってきたのではなさそうだ。なにか上
にいるのだろうか。
****
0019
20年前のあの夜のまま、食器は並べられている。
2階を覗かなくていいのだろうか?
****
0020
静けさだけが古い屋敷を包んでいる。音は上から聞えたようだが、
行かなくていいのだろうか?
****
0021
一番奥の部屋から光がもれていた。早百合が住んでいた部屋だ。英
語の苦手な彼女はよくわたしを部屋に連れ込んでは予習そっちのけに
快楽を楽しんでいたものだが……妙だ。もう屋敷に電気は通っていな
いはずなのに、明かりがついている。
わたしはゆっくりと部屋に近づき、扉に手をかけた。
****
0022
【加納】 『さ、早百合』
【早百合】『遅かったんだね、大介。どうしたんだい』
【加納】 『う、うそだ……そんなはずがない……こんなところに早
百合がいるはずがない』
【早百合】『なにを言ってんだい? あたしだよ、早百合だよ』
【加納】 『来るな、幽霊、化け物!』
【早百合】『そんなことを言うの? いつも大介のをしゃぶってやっ
たのに』
【加納】 『寄るな! おまえは死んだんだ! 生きていたとしても、
あの頃の姿であるはずがない!』
【早百合】『奥様から聞かなかったの? 人は死によって永遠の美と
若さを手に入れることができるって』
【加納】 『それ以上近寄るな! おれが悪いんじゃない! おれが
殺したんじゃない! おれは知らなかったんだ!』
【早百合】『怖がんないで。またあのときみたいにいっぱいしよう』
****
0023
ここはどこだ?
旅館?
わたしは戻ってきたのか?
早百合は?
あれはいったい……
****
0024
【藍子】『あ……おはようございます。やっとお目覚めになったんで
すね』
【加納】『あ、ああ、おはよう』
【藍子】『昨夜はどこにいかれてたんですか』
【加納】『え?』
【藍子】『今朝、夢遊病者みたいに歩いて来られたときはびっくりし
ました。朝帰りなんかしちゃって、いい人でもいるんです
か? あたしなんかまだそういう人も見つからないのに』
【加納】『藍子ちゃん。今朝見たこと、内緒にしてくれないか』
【藍子】『いいですよ。わたしだって、子供じゃないですから。あと
で夕食をお持ちしますね』
【加納】『もうそんな時間なのか』
【藍子】『ええ。先にお風呂に入ってください』
****
0025
一風呂浴びるとわたしは部屋に戻った。
あれは……幻だったのだろうか。
でも、あれは確かに早百合だった。20年前の早百合だった。
あの声、あの肌のぬくもり、あの亀裂の濡れ具合は間違いなく早百
合だった。だが……今朝までの記憶がないとはどういうことなのだろ
う。
やはり、夢だったのか?
いや、そんなはずはない。確かにわたしは、あの鬼門館に出かけた
のだ。
****
0026
頬を寄せて甘えているのが澪、隣が未亡人だった奈津子、そしてわ
たしの後ろが早百合だ。昨日朽ち果てた鬼門館で会ったのは、間違い
なくこの顔だった。
****
0027
【藍子】『お食事をお持ちしました』
【加納】『大変だね。家の人はいないの』
【藍子】『母がいるんですけど、しょっちゅう寝込んでばかりなんで
……ご飯だけは母がつくってるんですけど。……あの、昔
のお写真ですか』
【加納】『あ、ああ』
【藍子】『加納さんって、やっぱりかっこよかったんですね。でも、
このときはお髭は伸ばされてないんですね』
【加納】『まだ、若かったからね』
【藍子】『なんか新鮮だなあ。隣のかわいい人、だれですか?彼女?』
【加納】『妹だよ』
【藍子】『いいなあ……わたしもこんなふうに甘えられたらなあ』
【加納】『え?』
【藍子】『なんでもありません! 冷めないうちに食べてくださいね』
****
0028
いい子だな……彼女を見ていると妹を思い出してしまう……まだあ
の鬼門館に入る前の、かわいらしかった頃の妹を……
****
0029
夕食を済ませると、わたしは下に降りた。
****
0030
【加納】 おかしいな……昨日はいたのに、どこへ行ったんだろう。
****
0031
【藍子】 『加納さん?』
【加納】 『藍子ちゃん』
【藍子】 『きゃ、どうしよう』
【加納】 ……結構、おっきいな。
【藍子】 『やだ、見ないで』
****
0032
【加納】 かわいいもんだ。あの子には、わたしのような人生だけは
味わってほしくないものだ。
****
0033
暗がりに覆われた通りに出ると、真実を確かめるため、わたしは再
び鬼門館に出かけた。
****
0034
鬼門館は、漆黒の闇のなかで月光を浴びながらひっそりとたたずん
でいた。足跡もないこの場所に立って妖美とすら言えるその姿を眺め
ていると、20年前の8月14日の惨劇が血となって大地にしみこみ、
目覚めを待っているかのように思えてくる。
****
0035
だれもいない。
昨日とまったく同じだ。だが、夕べは目前の階段をあがった2階の
廊下から、扉の音が聞えたのだ。
****
0036
妙だ。
確かに昨日はここから光が洩れていたのに、扉は塞がっている。
****
0037
だれもいない。かつて早百合の部屋だったそこは埃に埋もれ、思
い出の墓場と化している。
昨日は確かに電灯が灯り、机も20年前とまったく変わらぬまま
だったのに、どういうことだ? わたしは騙されているのか?
****
0038
だれだ!
ダイニングの方で鳴ったようだが、まさか、早百合?
わたしは夢中で階段を駆け下りた。
****
0039
【志穂乃】『ご、ごめんなさい』
【加納】 『し、志穂乃さん』
【志穂乃】『すみません、今片付けますから』
【せつら】『志穂乃!』
****
0040
【加納】 せ、せつら?
【志穂乃】『お、奥様』
【せつら】『おまえはいったい何枚皿を割ったら気がすむのです?
よほどおしおきをしないとわからないみたいですね』
【志穂乃】『奥様、お許し下さい』
【せつら】『その言葉はもう聞き飽きました。さあ、お尻をお出し!
大介にあそこを見せるのよ!』
【加納】 『やめてくれ! おまえたちはなんなんだ! 幽霊なら消
えてくれ! おれが悪いのじゃない!』
【せつら】『大介、どうしたの? あなたもよろこんでわたしといっ
しょに志穂乃をいじめていたじゃない』
【加納】 『さわるな! 頼むからおれの前から消えてくれ! おれ
はもうあの悪夢は見たくない! もうあんな目に遭うの
はたくさんだ!』
【せつら】『大介、あなた勘違いしているのじゃなくて? わたした
ちは幽霊でも化け物でもないわ。見て、この体を。やっ
と、永遠の美を手に入れたのよ』
【加納】 『永遠の美なんかいらない! おまえたちなんか、もうた
くさんだ! いますぐ消え去れ!』
【せつら】『志穂乃、大介を落ち着かせてあげなさい』
****
0041
【加納】 『やめろ……もうやめてくれ……おれはもう、あの狂乱の
世界とはおさらばしたんだ……おれを引きずり込むのは
やめてくれ……』
****
0042
【せつら】『ふふふ……いらっしゃい、快楽の世界へ……この世の中
で確かなものはセックスと死しかないのよ……さあ……
いらっしゃい……』
****
0043
【加納】 『澪! 早百合! 志穂乃! せつら! 奈津子さん!』
【加納】 『み、みんな返事してくれ……ひとりにしないでくれ……
お願いだ澪……早百合……奈津子……
だれかなにか言ってくれえ!おれひとりだけなんて……
そんなの、いやだあああああああああああああ!』
****
0044
ここはどこだ?
志穂乃は?
せつらは?
また、わたしは戻ってきたのか?
いったい、どういうことなんだ。また、同じだ……
わたしは汗をぬぐった。
それにしてもいやな夢を見たものだ。
20年前の悪夢。呪われた惨劇。わたしの人生をいまなお覆いつづ
ける、巨大な影。すべては、あの鬼門館から始まっている。
****
0045
わたしは写真を開けた。
わたしに甘えているのは妹だ。女主人のせつらは後ろにいる。
志穂乃は外れたところに目立たぬように控えている。
わたしは隣で微笑む女性を指でなぞった。
青山奈津子。
彼女は未亡人だった。乳首にピアス用の穴を空けるという奇癖を持
ち合わせてはいたが、狂った鬼門館の人間の中で、彼女が一番まとも
だった。
彼女はよきわたしの相談相手であり、愛すべき人だった。彼女はわ
たしのことを深く愛してくれていた。そして、わたしもまた……。
彼女が人生にいてくれたら、わたしのこの20年間はどれほど幸せ
だったろうか。
****
0046
【藍子】『加納さん、起きてらっしゃいますか』
【加納】『あ、ああ』
****
0047
【藍子】『おはようございます。二度も朝帰りなんて、よっぽどいい
人がいらっしゃるんですね』
【加納】『朝帰り?』
【藍子】『今朝もぼうっとしてて、声をかけても反応してくださらな
かったんですよ』
【加納】『だれかにしゃべったかい』
【藍子】『いいえ』
【加納】『頼む、今朝の事は内緒にしておいてくれ』
【藍子】『わかりました』
【加納】『……』
【藍子】『あの……どうして髭を伸ばしているんですか? 好きな女
性の方に言われたんですか』
【加納】『え?』
【藍子】『なんでもありません。お夕食、すぐ持ってきますね。あん
まり遅くまで眠ってるともったいないですよ』
****
0048
ほんとうにかわいいコだ。妹もずっとあのままでいてくれればよか
ったのだが……。
それにしても、また記憶のないまま戻ってくるとは、どういうこと
なのだろう。
いったい、わたしの身になにが起こっているのだ? あのあと、わ
たしはなにをしているのだ?
あの美しき亡霊たちがなにかしているのか?
死して後も、まだわたしに呪いをかけ、わたしをあの堕落した世界
へ引きずり込もうというのか。
わたしはほとんど夕食を残したまま、部屋を出た。
****
0049
【加納】 おかしいな……またいないぞ。どこへ行ったんだろう。
****
0050
【加納】 ん? 風呂場のほうから鼻歌が聞えるな。
****
0051
わたしは汗をかいていた。まるで近親相姦を働いたような後味の悪
さがびっしりと全身に張り付いていた。わたしは少し吐き気を覚え、
彼女の残像から逃れるように外に出た。
****
0052
眺めるたびに、無気味さが込み上げてくる。闇に浮かぶ黒い暗影が、
わたしを呑み込もうとしているかのように思えてくる。
この廃墟同然の虚城は、いったいわたしをどうしようというのか。
わたしになにを見せ、わたしをどこへ連れていこうというのか。それ
を確かめるため、再びわたしは亡霊の懐へ潜り込んだ。
****
0053
晩秋の冷気が沈黙とともに立ち込めている。
今日も、亡霊たちはわたしを待っているのか。どこかでわたしを見、
ひそかな企みにほくそえんでいるのか。
****
0054
いない。
昨日は確かにここに志穂乃とせつらがいたのに、いったいどういう
ことだ?
わたしをからかっているのか?
とまどうわたしをあざ笑っているのか?
****
0055
亡霊どもめ、どこに消えた。
このわたしをそんなに愚弄したいのか。
****
0056
光は洩れていない。
やつらめ、どこに隠れた。
****
0057
ここにもいない。
亡霊は、この屋敷から逃げてしまったのか?
****
0058
やはり逃げたのだろうか。
****
0059
【加納】 『奈津子さん……』
【奈津子】『二度とここに来てはだめ』
【加納】 『どういうことだ』
【奈津子】『絶対に来てはだめ』
****
0060
【加納】 『どういうことだ』
****
0061
【加納】 ……消えた。
****
0062
雨だ。
この町を訪れたときのように、また雨が降っている。
20年前、ただひとり生き残ったわたしに対する女たちの怨念がこ
の雨を降らせているのか。
****
0063
なぜ、奈津子はあんなことを言ったのだろう。
わたしへの愛?
確かに、奈津子はわたしを愛していた。そして、わたしも奈津子を
愛していた。
だが……愛しているのならば、わたしをとどめたいと思うのが普通
ではないのか。ただ一度でも抱擁されたいと思うのが本当ではないの
か? なのに、なぜたった二言三言だけで奈津子は消え去ってしまっ
たのか。
20年前毒を呷って死んでいった女たちを弔うという当初抱いてい
た目的は、わたしの中で薄らいでいた。わたしは、危険な意味探しに
取り憑かれていた。
朽ち果てた鬼門館で出会った美しき亡霊たちは、いったいなんなの
か。
奈津子は、あの短い言葉でいったいなにを告げようとしていたのか。
わたしはその意味を確かめずにはいられなくなっていた。
****
0064
【藍子】 『加納さん、お茶をお持ちしました』
****
0065
【藍子】 『雨ですね』
【加納】 『……んん……』
【藍子】 『もうすぐ12月ですね』
【加納】 『……んん……』
【藍子】 『……加納さんって変わってるんですね。別に山に紅葉狩
りに来たわけでもないみたいだし、夜になるといつもど
こかに出かけて……。お仕事、なにをしてらっしゃるん
ですか』
【加納】 『……』
【藍子】 『どうして昨日は行かなかったんですか? 女の人となに
かあったんですか?』
【加納】 『……出かけてくる』
【藍子】 『え?』
【加納】 『また遅くなるかもしれない。内緒にしててくれないか』
【藍子】 『はい……夜中でも、わたし起きて待ってますから』
****
0066
一日中降り続いていた陰鬱な雨がやんでいた。雨雲はまだ黒い腹を
見せながら恨めしげに低空に立ち込めていたが、雨滴は落ちて来なか
った。
わたしは、亡霊のように聳え立つ奇怪なシルエットを見上げた。あ
の美しき悪魔たちは、すでにわたしを待ち構えているかもしれない。
わたしは夜更けまで待っていると言った藍子のいる町のほうに一瞥く
れると、城館に入った。
****
0067
【加納】 なんだ、これは? ぼろ屋敷だったはずなのに、いったい
どういうことだ? まるで20年前とおんなじじゃないか!
【奈津子】『やっぱり来てしまったのね』
****
0068
【加納】 『奈津子さん』
【奈津子】『わたしのお願い、聴いてくれなかったのね。せっかく助
けようとしたのに、どうして戻って来たの?』
【加納】 『おれは確かめに来たんだ』
【奈津子】『どうしてそんなことを……もうあなたは帰れない……二
度と戻れないのよ……』
【加納】 『どういうことだ? 帰れないって――』
【奈津子】『かわいそうな大介さん……あなたにだけは生きていてほ
しかったのに……』
****
0069
【加納】 『奈津子さん待てよ、どこ行くんだよ』
****
0070
【せつら】『待っていたわよ』
【加納】 『せつら!』
【せつら】『もう逃がさないわ……今度こそ、いっしょに帰るのよ。
志穂乃、早百合、手伝ってちょうだい』
【志穂乃&早百合】 『ふふふふふ』
【加納】 『うわ、やめろ、離せ……志穂乃、早百合、やめろ、
おれは……うああ』
****
0071
ここはどこだ?
旅館?
いや、そんなはずはない。わたしが泊まっていたのは旅館で、和室
だったはずだ。でも、この部屋には見覚えがある。
……まさか、わたしの部屋?
そんなばかな!
****
0072
【加納】 ばかな……まるであの頃のままだ。あの埃はどこへ消えた
んだ。ここは崩壊寸前のぼろ屋敷だったはずだ。
****
0073
【加納】 そんな……すべて元どおりになっているなんて……こいつ
はうそだ、うそに違いない。
****
0074
やかんが鳴いている。いったいどういうことなんだ? わたしがい
ま見ているのはなんなのだ? これは夢なのか? わたしは昔の夢を
見ているのか?
【志穂乃】 『おはようございます、大介さん』
****
0075
【加納】 『ゆ、幽霊!』
【志穂乃】『大介さん? どうかされたんですか?』
【加納】 『うるさい、来るな! おれにさわるな!』
【志穂乃】『大介さん?』
【早百合】『どうしたんだい、あさっぱらから』
****
0076
【加納】 『うわあ、早百合』
****
0077
【加納】 『来るな、幽霊』
****
0078
【加納】 『う、うわああ、なんだあ』
****
0079
【加納】 『う、うわあ、寄るな! 近づくな!』
****
0080
【加納】 『来るな! おまえたちは20年前に死んだんだ!
これ以上おれをひきこむのはやめてくれ!』
****
0081
【加納】 『うああ』
【せつら】『ちょっと大介くん、わたしを見て、うああはひどすぎる
のじゃなくって??』
【加納】 『来るな! おまえは20年前に死んだんだ!』
【せつら】『20年前ってなんのこと? 早百合、あなた心理学を専
攻しているんだから説明してくれない?』
【早百合】『変なものでも食べたんじゃないですか。それかセックス
のやりすぎで脳細胞がぶち切れたか、頭でもぶっつけた
んでしょ』
【せつら】『頼りにならないわね。志穂乃、奈津子を呼んできてちょ
うだい。鎮静剤を打ってもらうようにお願いしなさい』
【志穂乃】『はい、奥様』
【加納】 『おれは狂っちゃいない! 狂っているのはおまえたちだ!
なんの恨みがあってまた現れるんだ! おまえたちは
20年前の夏に死んだんだぞ!』
【せつら】『わかったから落ち着きなさい。あなたは悪い夢を見たの
よ』
【加納】 『夢なものか! おれはほんとに見たんだ! ぼろぼろの
はずの屋敷の中に志穂乃と早百合と……うっ』
****
0082
【せつら】『奈津子、助かったわ。いきなり暴れだしてしまってどう
したのかと思ったわ』
【奈津子】『鎮静剤を打ちましたからしばらくは大丈夫だと思います』
【せつら】『そ。志穂乃、早百合、大介を部屋に運んでちょうだい』
【早百合】『えーっ、こんな重いの運ぶの』
【せつら】『早百合』
【早百合】『はあい。あ~あ、大介のやつ余計な手間かけさせやがっ
てまったく』
****
0083
【奈津子】『気分はどう?』
【加納】 『奈津子さん……』
【奈津子】『わたし、幽霊に見える?』
【加納】 『わからないんだ……』
【奈津子】『よかったら話してみてくれない? 大介さんの力になれ
るかもしれない』
****
0084
あれほど狂乱していたのに、なぜだろう。
奈津子の瞳に不思議とわたしの胸は安らいでいった。奈津子はわた
しの髪を撫でてくれた。あたたかなものがゆっくりとわたしの中を満
たしていった。
わたしは落ち着きを取り戻し、いままでにあったことをゆっくりと
話しはじめた。奈津子はじっとわたしの手を握ったまま、静かに聞い
てくれた。
****
0085
【奈津子】『きっと20年先の、未来の夢を見たのね』
【加納】 『夢じゃない。何度も目が覚めたんだ。でも、決まってど
うやって帰ったか覚えてないんだ』
【奈津子】『やっぱり夢じゃないかしら。だって、大介さん、40に
なってたわけでしょう? でも、二十歳の顔してるわよ』
【加納】 『おだてないでください。おれはもう年もとったし、髭だ
って……そんなばかな! 髭がない!』
【奈津子】『やっぱり夢だったのよ。大介さんったら変ね』
【加納】 『そんな……確かに髭があったんだ……旅館の娘さんにも
髭のことをほめられたんだ』
【奈津子】『その話、妹さんには内緒にしておいたほうがいいわよ。
じゃあ、わたしは部屋に戻ってるから、用事があったら
ノックしてちょうだい』
****
0086
本当に、あれは夢だったのだろうか。
わたしはもう一度顔を撫でてみた。
確かに、髭はない。
奈津子さんの言うほうが正しいのだろうか。
****
0087
わたしは藍子のことを思い出した。
そうだ。あの旅館に行けばすべてがはっきりするはずだ。
****
0088
幸いにも、町並みはほとんど20年前と変わっていなかった。
あいにくの雨ではあったが、わたしは、泊まっていた旅館を比較的容
易に探し出すことができた。
****
0089
【おかみ】『いらっしゃいませ』
****
0090
【加納】 『あのぉ、こちらに藍子って二十歳ぐらいのお嬢さんいま
せんか?』
【おかみ】『いいえ。うちはまだ子供もいませんけど、なにか?』
【加納】 『いえ、すみません』
【おかみ】『いいえ、なんのお手伝いもできなくて』
****
0091
旅館を間違えたのかと別のところも当たってみたが、大きな町では
なし、10軒も20軒もあるわけでもなく、すぐ当ては尽きてしまっ
た。どの旅館にも、藍子という女の子はいなかった。
****
0092
どうやら、わたしが現実だと思って見ていたのが夢だったらしい。
でも、ほんとうにそうなのだろうか……
****
0093
【澪】 『もう落ち着かれました?』
【加納】『あ、ああ』
【澪】 『一度様子を見に来たんですけど、お兄様いらっしゃらなか
ったから。どこへいらしてたの?』
【加納】『町に行ってたんだ』
【澪】 『お誘いしてくださればよろしかったのに。今日のお兄様、
冷たいですわ。いつもは毎朝かわいがってくださるのに、
澪を残して先に下に降りていかれたり』
【加納】『あ、ああ』
【澪】 『夢のこと、まだ気になさってるの』
【加納】『ああ……』
【澪】 『お兄様は、まだ澪のことを幽霊だと思ってらっしゃるの』
****
0094
【澪】 『よっぽどひどい夢でしたのね。かわいそうなお兄様。いま
澪がお兄様の頭をすっきりしてさしあげますわ』
【加納】『お、おい、なにをするんだ、ばか、やめろ、うっ』
****
0095
【澪】 『うれしいわ、お兄様。今日は澪、おもいっきり頑張って
お兄様をお慰めします』
【加納】『お、おい澪、やめろ、うっ』
****
0096
やめろ。
やめてくれ。
狂いそうな狂喜にわたしは首を振った。
でも――わたしはだれに向かって叫んだのか?
妹?
いな。
わたしは内なる獣に向かって叫んだのだ。
****
0097
【加納】 『さ、早百合』
【早百合】『なんだい、いまどき恥ずかしがるなよ。気持ちよさそう
だな、澪』
【澪】 『お兄様のとってもいいの。早百合様もいらっしゃる?』
【早百合】『そのつもりで来たのさ』
【加納】 『よせ、早百合、澪もなんとか……うっ』
****
0098
【せつら】『澪、ずいぶん顔色がいいわね。なにかいいことでもあっ
たの』
【澪】 『まあ奥様ったら、おわかりになります?』
【せつら】『ええ、だって女ですもの。大介くんといいことでもあっ
たんでしょう』
【澪】 『まあ、当たっていますわ。実はさっきお兄様にかわいが
っていただきましたの』
【せつら】『まあ、それはよかったわねえ』
【加納】 『お、おい、澪、なんてこと話すんだ』
【澪】 『あら、いつもの通りですわ。お兄様だって昨日いろいろ
とおっしゃってましたのよ』
【早百合】『そうそう、澪はあそこの食いつきがよくなったって』
【加納】 『さ、早百合』
【早百合】『ははは、照れんなよ、大介』
【加納】 『照れんなって早百合、こんなところで』
【早百合】『こういうところだからしゃべるんじゃないか。今日のは
結構燃えたよなあ。澪と大介の3人でやるなんて久しぶ
りだもんな』
【澪】 『はい。わたしもお兄様のがとっても気持ちよくて、10
回ぐらいいっちゃいましたの』
【せつら】『おほほほ、相変わらず澪さんと大介くんは仲がいいわね。
妬けちゃうわ。わたしもそれぐらいしてみたいものだわ。
ねえ、大介くん。今夜はわたしのおもちゃにならない?』
【澪】 『奥様、わたしも混ぜていただいでよろしい?』
【せつら】『どうしようかしら』
【澪】 『まあ、奥様ったらずるい』
【せつら&澪&早百合】『あはははははは…………』
****
0099
彼女たちの会話はまるで狂っていた。奈津子だけはひとり静かに食
事していたが、わたしは浦島太郎になった気分だった。わたしには早
百合の話が信じられなかった。昨日は、わたしは旅館でじっと雨を眺
めていたはずなのだ。
****
0100
ほんとにこれが夢ではないのだろうか。わたしが記憶している40
才までの20年間は、すべて夢だったというのだろうか。
【せつら】 『どうしたの、いつもの大介らしくないわよ』
****
0101
【加納】 『せつらさん』
【せつら】『ひょっとして、まだ40才の夢のほうが現実で、いまの
20才のほうが夢だって思ってるんじゃない?』
【加納】 『わからないんです……40才までのこと、おれ全部覚え
てるんです……どんな仕事をしていたのかも、どんな友
人と付き合っていたかも……』
【せつら】『ねえ、大介。もしこうだったらどうする。いま現実だと
思い込んでいるのが、あなたが死んでから見ている夢だ
としたら』
【加納】 『ばかなことを言わないでくださいよ』
【せつら】『そうかしら。あなた、生まれる前のこと覚えてる? も
ちろん、生まれてからのことははっきりしているわ。親
が話してくれるもの。でも、生まれる前はどこにいたの?
もし、生まれる前に死んでいたとしたら、死んでからも
夢を見ることができるとしたら? それが永遠に覚めな
い夢だとしたら?』
【加納】 『死んだ人が夢なんか見るわけないでしょう』
【せつら】『そうかしら。ねえ、大介。いま生きている現実が夢でな
いとはっきり証明できるものってあると思う? 現実は
つまらなくて連綿と続くもので、夢は脈絡がないもので
っていうけど、凄くリアルな夢だってあるわ。夢の中で
も夢を見ることだってあるし。だとしたら、いま現実の
ほうにいると思い込んでいる自分が夢でないとどうして
断言できるの?』
【加納】 『胡蝶の夢ですか』
【せつら】『そう。自分は蝶になった夢を見たけれども、蝶が自分の
夢を見ていたのか、自分が夢を見ていたのかどっちかわ
からなくなったって荘子の話ね』
【加納】 『おれはどっちなんです』
【せつら】『さあ、どちらかしら。でも、どちらも夢なら、好きなよ
うにしていいんじゃない? 思い切り淫らに楽しむのも
手よ』
****
0102
【加納】 余計わからなくなってしまった。
【奈津子】『大介さん』
****
0103
【加納】 『奈津子さん』
【奈津子】『奥様と大切なお話?』
【加納】 『いえ、たいしたことじゃないです』
【奈津子】『もう、具合のほうはいいの?』
【加納】 『え、ええ。……おれのこと、軽蔑してらっしゃるでしょ
うね』
【奈津子】『どうして』
【加納】 『妹ばかりか、早百合と……』
【奈津子】『いつものことです。わたし、そんなことで人を軽蔑した
りしません。それに、わたしだって……』
【加納】 『え?』
【奈津子】『あとでお部屋に行っていいですか』
【加納】 『ええ。おれも相談したいことがあるんです』
【奈津子】『他の人が来ても入れないでください』
****
0104
二人きりになりたいということだろうか。
真面目な顔をしていたが、なんの話だろう。
****
0105
わたしは自分の部屋に戻った。濃い蜜のような女の匂いが熱帯植物
のように強く薫った。
確かに、この部屋はわたしの部屋だ。覚えている。ここで、早百合
や澪、そして掃除に来た志穂乃や女主人のせつらと体を交えたのだ。
おかげで、わたしの部屋はいつも濃い女の香りでむせ返るようだった。
****
0106
【加納】 『奈津子さん、お風呂入ってきたんだ』
【奈津子】『え、ええ。髪乾かしてきたんだけど、わかる?』
【加納】 『ええ、香りで。あの……奈津子さん、おれにぼろぼろの
鬼門館で会ったことない?』
【奈津子】『どうして』
【加納】 『おれ、会ったことあるんだ……奈津子さんが言う夢の中
で』
【奈津子】『あるかもしれないし、ないかもしれない』
【加納】 『どっちなんです』
【奈津子】『大介さんがあると思えばあるんじゃないかしら』
【加納】 『おれ、なんか気が変になりそうなんです。近親相姦だっ
て、3Pだって平気でするなんて……それも堂々と夕食
で話のネタにするなんて、いったいここはどうなってい
るんです』
【奈津子】『大介さん、悩まないで。わたしが慰めてあげる』
【加納】 『な、奈津子さん、な、なにを、どこをつかんでんです…』
【奈津子】『お願い、大介さんの食べさせて。ずっと昼から我慢して
いたの』
【加納】 『な、奈津子さん、どうしたんです。あなたまでも狂って
るんですか』
【奈津子】『わたしは普通よ。それより、ねえ、いつものようにパイ
ズリがいい? フェラがいい?』
****
0107
【奈津子】『澪さんや早百合さんにはしても、わたしにはしてくれな
いの? わたしの、気持ちよくないの?』
【加納】 『奈津子さん、正気に返って、こんなことをしていたら、
あうう』
【奈津子】『お願い、大介さん……わたし、我慢できないの』
奈津子は飢えた手つきでわたしのものを握った。わたしの中で、欲
望の蛇が三角の頭を持ち上げた。わたしの理性は風前の灯火だった。
構わないさ。欲望に身を投げ出してしまえ。
欲望がそう言った。わたしは首を振った。だが、わたしの口からこ
ぼれでた言葉は、まったく違うものだった。
【加納】 『奈津子さんこそ、どっちがいいんだ。欲しいんならいく
らでもしゃぶらせてやるぜ』
【奈津子】『どっちでもいい、だから早くう』
****
0108
夢か……
やはり、奈津子の言う通り、いまわたしが目にしているのが現実ら
しい。藍子も40のわたしも夢だったのだろう。
それにしても、この股間の疼きはどうにかならないものだろうか。
たかだか……ちょっと待てよ。
わたしは考え込んだ。
夕べはいつ寝たんだ?
奈津子と夜遅くまでしていたのは覚えている。
だが、いつまでかは覚えていない。
彼女が果てるのが早かったのか、自分だったのか。
自分が奈津子を返したのか、奈津子がわたしを放って部屋に戻った
のか。
まったく記憶がない。
これじゃあ、まるで40才の夢の中と同じじゃないか。
****
0109
わたしは廊下に出た。窓から見える外はすでに薄暗い。夕方までわ
たしは眠りふけていたのだろうか。
****
0110
【早百合】『おっす。もう夕方だぞ』
【加納】 『あ、ああ』
【早百合】『なんだよ、じろじろ見て。ものほしそうな顔をしてさ』
【加納】 『早百合』
【早百合】『あとで部屋に来いよ。英語わかんないとこがあるんだ』
【加納】 『あ、ああ』
【早百合】『忘れんなよ』
****
0111
【加納】 体の中がおかしい。妙に欲望が騒ぐ。早百合の姿を見ただ
けで勃起するなんて、どういうことだ?
****
0112
【志穂乃】『おはようございます。お食事あたためましょうか』
【加納】 『あ、ああ』
【加納】 だめだ……股間が疼く……くそ……犯したい……いや、
だめだ、こんなことを考えたら……でも、一発ぐらいな
ら……
【志穂乃】『あ、あの……どうかしましたか』
****
0113
【せつら】『志穂乃、志穂乃はどこ』
【志穂乃】『はい、ただいま奥様』
****
0114
【加納】 『志穂乃さん』
【せつら】『志穂乃、志穂乃はどこ』
【志穂乃】『はい、ただいま奥様』
****
0115
【加納】 はあ……女が欲しい……
****
0116
【せつら】『あら、やっと起きたのね。夕べはどうだった? 奈津子
と楽しんだのでしょう?』
【加納】 『え、ええ』
【せつら】『若いっていいわね、いつまでも性を楽しめて。永遠の美
と若さが欲しいわ。年をとってくると体力がなくって毎
日が哀しくなってくるんだもの。どうして人間って老い
るのかしらね』
【加納】 『え、ええ』
わたしはろくに話を聴いていなかった。濃厚な危うい色香を放つせ
つらの体に目を奪われていたのだ。
【せつら】『生きているから老いるのかしらねえ。もしそうだとした
ら、生きるのをやめたら、命の止まった向こう側に永遠
の世界が開けているような気がしない?』
【加納】 『え、いえ……』
【せつら】『わたしが欲しい?』
わたしはうなずいた。喉はからからだった。
【せつら】『いらっしゃい』
****
0117
飛び掛かった瞬間、せつらは霧のように消えた。
幻?
【せつら】『こっちよ』
****
0118
【せつら】『さあ、いらっしゃい。わたしのかわいいぼうや』
わたしは再び、妖艶な女体の華に飛び掛かった。
****
0119
【せつら】『ふふふふふ』
せつらの笑い声が響いた。
【加納】 『どこだ!』
【せつら】『こっちよ』
****
0120
【せつら】『ふふふふ、どうしたの、いらっしゃい』
【加納】 『くそっ』
****
0121
【加納】 また消えた。どこへ行った。
【せつら】『こっちよ、部屋にいらっしゃい』
わたしは早百合の部屋に飛び込んだ。
****
0122
【早百合】『ハア……大介、やっと来てくれたのね……待ってたんだ
……』
【加納】 『さ、早百合、なんだ、そのかっこうは』
【早百合】『自分でしたの……だって、あそこに食い込んで気持ちい
いんだ……大介……早くいじめて……』
【加納】 『いや、しかし……』
【早百合】『いつもあたしを嬲ってくれたじゃない……早く……』
わたしは彼女から離れようとした。だが、わたしの中で長らく眠っ
ていた欲望は、すでに暴走を始めていた。
【加納】 『おれにどういじめてほしいんだよ』
【早百合】『うんといやらしく責めて』
****
0123
絶頂に気絶した早百合と別れたときには、すでに深夜になっていた。
夕食も食わず、わたしは性の悦びに没頭していたことになる。
異常だ。
飯も食わず、5、6時間もぶっ通しでしていれば、途中で腹がへっ
て当たり前のはずだ。なのに、空腹ひとつ感じないとはどういうこと
なのだろう。
しかも、さんざん早百合の体で欲望を満たしたはずなのに、まだわ
たしの股間は激しく疼いている。
****
0124
【加納】『せつらさん』
****
0125
【澪】 『お兄様、どうなさったの? 澪ですわ』
【加納】『あ、ああ……』
【澪】 『やっとお目覚めになったのね』
【加納】『え?』
【澪】 『澪が起こしに行っても、お兄様ったらちっともお目覚めに
なってくださらないんですもの』
【加納】『おれは寝てないよ』
【澪】 『お兄様。まだ寝ぼけておいでなんじゃありません?』
****
0126
【加納】 寝ぼけてるだって? それは澪のほうじゃないのか?
【志穂乃】『大介さん』
****
0127
【志穂乃】『あ、あの、おはようございます。起こしに行ったんです
けど、あんまりぐっすり眠り込んでらしたんで……』
【加納】 『おれ、眠ってないよ』
【志穂乃】『……ぷっ』
【加納】 『なんだよ、笑うことないじゃないか』
【志穂乃】『すみません。あの、夕食のほう、かやをかけておきまし
たから、お腹がすいたら召し上がってください』
【加納】 『あ、ああ、ありがとう』
【志穂乃】『おやすみなさいませ』
****
0128
【加納】 みんないったいどうしたんだ? 二人もそろってわたし
が眠っていたなんて。
【奈津子】『おはよう、寝太郎の大介さん』
****
0129
【加納】 『奈津子さん』
【奈津子】『やっと目が覚めたみたいね』
【加納】 『なんでみんなおれを勝手に眠らせるんだ? おれ、全然
寝てないよ』
【奈津子】『うそ。わたしが起こしに行っても起きなかったくせに』
【加納】 『起きてたよ。おれ、ずっと早百合のところにいたんだぜ』
【奈津子】『なにしてたの』
【加納】 『ちょっと英語を聞かれて教えてたんだ』
【奈津子】『うそ。早百合さんはわたしたちといっしょにご飯食べて
たわよ』
【加納】 『うそだ!』
【奈津子】『大介さん、声が大きい。みんなもう寝てるわ』
【加納】 『でも、ほんとなんだ。おれほんとに早百合の部屋にいた
んだ』
【奈津子】『また夢でも見ていたんじゃない?』
【加納】 『夢?』
【奈津子】『大介さん、まだ自分が40才って思ってるんじゃなくて?
だめよ、しっかりしてくれなくちゃ』
【加納】 『あ、ああ』
【奈津子】『じゃ、おやすみなさい』
****
0130
わたしは夢を見ていたというのか?
ばかな。
でも、もし夢を見ていたとしたら、いつ眠ったときの夢だ?
夕べ奈津子との情事のあと?
それとも、奈津子に鎮静剤を打たれてから?
それとも、もっと以前……
ばかな。
そんなはずがない。わたしはどうかしているんだ。
【せつら】 『だれかを捜していたんじゃないの』
****
0131
【せつら】『ふふふ。早百合はどうだった。たっぷり楽しんだんでし
ょう?』
【加納】 『早百合とのこと、知ってる?』
【せつら】『なにをそんな不思議そうな顔をしているの? ひょっと
して、みんなに眠っているって言われたの?』
【加納】 『どうしてわかるんだ』
【せつら】『知りたくない? 自分が夢を見ていたのか、見ていなか
ったのか』
【加納】 『せつらさんは知っているのか』
【せつら】『んふふ。部屋でお話ししましょう』
****
0132
【せつら】『思い出すわね、初めてあなたがここに来たときのこと。
うぶで真面目で、性とは縁遠い人間だったわ。それがひ
とつきもしないうちに乱交パーティもよろこんでこなす
ようになって』
【加納】 『おれは思い出話をするために来たんじゃありません』
【せつら】『ふふふ、そうだったわね。わたしはね、夢でも現実でも、
どちらでもいいと思うのよ。ただハッキリしているのは、
夢の世界でも現実の世界でも、どちらの世界にも死があ
るってこと。そして、どの夢占いでも精神分析学でもそ
うだけど、夢の中の死は人生の終わりではなく、より次
元の高い新しい世界への飛躍を意味しているってことよ。
現実の世界でも、同じことが起こると思わない?』
【加納】 『そんなばかなわけないでしょう。現実の世界で死んだら
飛躍なんかあるわけないでしょう』
【せつら】『そうかしら。現実っていったけど、いまが現実だって証
拠見せられる? 現に、あなたは早百合を抱いたって言
ってるのに、他の3人はあなたは眠ってたって言い張っ
てるのよ』
【加納】 『それは……』
【せつら】『あなたが現実だと思っているものは夢かもしれないって
ことでしょう? だったら、思い切って死に賭けてみる
のもおもしろいのじゃなくって?』
【加納】 『おれは、死にたくない』
【せつら】『ひとりじゃ怖い? なら、いいわよ。わたしといっしょ
に死んでみない?』
【加納】 『な、なにをばかな』
【せつら】『ねえ、死にましょう。死なないっていうのなら、あなた
が言うまでこちらのほうで死なせてあげる』
****
0133
【加納】 『やめろ……もう死にそうだ』
****
0134
【加納】 『やめろ、本気で死んじまう、ぐあ、ぐああああああああ
あああああああああああああああああああ……』
****
0135
【せつら】『おはよう、大介。気分はどう』
【加納】 『ふふん、せつらか』
【せつら】『どう、一度死ぬほどいった気分は』
【加納】 『最高だな』
【せつら】『ふふふ、あなた獣みたいに飢えた目をしているわよ。そ
んなにわたしがほしい?』
【加納】 『もったいぶってないでやらせろ』
【せつら】『だめよ、まだやらせてあげない。捕まえたらやらせてあ
げるわ、ふふふ』
****
0136
【加納】 『おい待て、せつら』
****
0137
【加納】 『やっと追い付いたぜ、せつら』
【せつら】『女はそう簡単につかまらないのよ』
【加納】 『やらせろ』
【せつら】『ふふふ、やらせてあげない』
****
0138
【加納】 この野郎。
****
0139
【せつら】『ふふふ、ご飯の代わりにわたしを食べるつもり?』
【加納】 『当然だ。観念して体を開け』
【せつら】『いらっしゃい、ふふふ』
****
0140
【加納】 くそっ、すり抜けやがった。せつらのやつ、絶対犯してや
る。
****
0141
【加納】 『どうだ、せつら、おれの奴隷になるか』
****
0142
【せつら】『凄くよかったわ、大介のこれ』
【加納】 『また犯してやるよ』
【せつら】『ふふふ。あとでダイニングに来てね』
****
0143
【加納】 ふん、またおれに追いかけ回させるつもりか。
****
0144
【澪】 『どう、お兄様』
【加納】『なかなかいい趣味してるぜ、澪』
【澪】 『うれしい、お兄様ならきっとそうおっしゃってくださると
思いましたの……ああん、お兄様、そんなに激しく指を動
かされたら……』
【加納】『ケツに汁が垂れてきたじゃないか、澪』
【澪】 『あああ、お兄様……』
【加納】『おれにしてほしいと言ってみろ。一発太いのをぶちこんで
くれってな』
【澪】 『お兄様のを澪の中に思い切り突き刺して』
【加納】『おら、入れてやるよ』
【澪】 『あ、ああん!』
****
0145
【加納】『ふふん……よがりすぎて腰が抜けやがったか』
****
0146
ふふふ……欲望を感じる
張り裂けそうな、獣のような欲望を感じるぞ
快楽こそすべてだ。
おれたちは永遠に夢のなかで生きているようなものだ。
セックスと死
それしか現実を感じる方法はない
なら、徹底的に犯しまくって、現実とやらを味わってやろうじゃな
いか。なにをしても、夢の中なら許されるんだからな。
****
0147
【奈津子】『あら、大介さん』
【加納】 『よう、奈津子』
【奈津子】『きゃっ、な、なに』
【加納】 『やっぱり濡れてやがったか。おれのが欲しくてオナって
たんだろう』
【奈津子】『大介さん』
【加納】 『くれてやるよ』
****
0148
【加納】 へ、よがりすぎて気絶したか……いい気分だぜ
****
0149
【早百合】『おっす、ねぼすけ。昼まで眠ってて起き出すなり3連発
とは、まるで発情したサルだな』
【加納】 『ケツを出せ』
【早百合】『え?』
【加納】 『ケツを出してあそこを見せろと言ってるんだ。おまえの
好きなやつをくれてやるよ』
【早百合】『ちょ、ちょっと大介、なによ、ばか、やっ』
****
0150
【加納】 外へ逃げ出したか。ふん、いまさらぶりっこなんざしやが
って。
****
0151
【加納】 『おれのメス犬になれ。おれの奴隷になれ』
****
0152
【加納】 ふん。いい気分だぜ。しばらく外で寝転がってるといいや。
さて、ダイニングに行くか。
【志穂乃】『お、おおおお、奥様ああ』
【加納】 ふふん、せつらのやつ、やってるな。
****
0153
【せつら】『あら、もうやめちゃうの』
【加納】 『なあに、別の方法でいじめるだけさ』
****
0154
【せつら】『んふ、大介、今度はどうやっていじめるの』
【加納】 『そうだな、こいつはマゾだからな』
【せつら】『たっぷりと犯してやりましょう』
****
0155
【せつら】『どうだった、大介』
【加納】 『気に入ったね。最高だ』
【せつら】『うれしいわ、やっと大介もわかってくれたのね』
【加納】 『ああ、ようやくこの快楽の味がな』
【せつら】『うれしいわ、大介。盛大にパーティをやりましょう』
****
0156
それからのおれは、鬼門館というハーレムに君臨する皇帝だった。
澪
早百合
志穂乃
せつら
奈津子
おれは館中の女を犯しまくった。少し前まで臆病にもこの快楽から
目を背けていた自分がばかばかしく思えた。おれが自分の奥深くに追
いやりながらその実もっとも望んでいたものは、目の前にあったのだ。
おれは夜を忘れて女を突きまくり、狂気のような欲望に酔いしれた。
だが、おれが欲望に狂っている間に、あの運命の8月14日は近づ
いていたのだ。
****
0157
その日もちょうど雨だった。
****
0158
【加納】 『そんなこと言っていいのか、早百合? おれはいまだっ
ておまえを貫けるんだぜ』
****
0159
【加納】 『せつら、なかなか気が利くじゃないか』
****
0160
【加納】 『ぐ……ぐぎぎ……せ、せつら、なにを入れた……』
【せつら】『言ったでしょう、死んだような気分になれるって』
****
0161
【加納】 『澪、早百合……奈津子……』
【せつら】『無駄よ、もうなにも聞えてないわ。あなたには効きが悪
いみたいね。どうしてかしら』
【加納】 『せつら……おまえ、なぜこんなことを……』
【せつら】『言わなかったかしら。死によって、人はより高次元の世
界へ飛んで行けるのよ』
【加納】 『ばかな……』
【せつら】『わたし、ずっと夢の中に住んでいたいの。だって、そう
すれば永遠に老いなくてすむでしょう』
【加納】 『なにも巻き添えにしなくても……』
【せつら】『あら、これは澪さんが言い出したことなのよ』
【加納】 『澪が……』
【せつら】『永遠にあなたといっしょにいたいんですって。美しい兄
妹愛ね』
【加納】 『ぎぎ……ぐぐぐ……』
【せつら】『ふふふ、毒が回ってきたみたいね。でも、心配しないで。
わたしもすぐあなたのあとを追ってあげる……次に見る
夢も、きっと楽しいわよ……』
****
0162
【加納】 わたしはなにをしていたのだ……吐き気がする……目がよ
く見えない……確か……みんなとワインを飲んでいたはず
だったのに、どうしたんだろう……ん?
****
0163
【加納】 『み、澪……』
【加納】 『お、おい、澪!さ、早百合……志穂乃……せつら……
奈津子さん!』
【加納】 『……こんなことって……こんなことって……澪!
早百合! 志穂乃! せつら! 奈津子さん!』
【加納】 『……だれか返事してくれよおおお! ……ひとりにしな
いでくれよ! なにか言ってくれよお!……おれだけが
助かるなんて……また夢みたいになっちまうなんて……
こんなのってないよおおおおおおおおお! なんでまた
俺だけが助かっちまうんだよおお!うううぅぅぅ……』
****
0164
【藍子】 『加納さん!』
【加納】 『……藍子ちゃん……』
【藍子】 『よかった……よかった……』
【加納】 『どうしたんだい。ここは夢の中なんだよ。なにが起こっ
ても安心していいんだよ』
【藍子】 『夢なんかじゃありません! ……やっと帰ってきたと思
ったらそのまま旅館の前でばったり倒れちゃって……』
【加納】 『藍子ちゃんもおおげさだな。夢のなかだから、わたしが
死んでも悲しむことはないんだよ』
【藍子】 『ばか! 加納さんのばか!! どんな思いでわたしがい
たと思うんです? どこも悪くはないってお医者さんは
言って下さるのに、ゆすっても全然目を覚まさなくて3
日間も眠り続けて……わたし、このまま加納さんが死ん
じゃうんじゃないかって……』
【加納】 『藍子ちゃん……』
【藍子】 『わたし、ほんとに心配だったんだから……ほんとに加納
さんのこと……』
【加納】 『ごめん……悪かったよ……でも、ほんとにわたしは3日
間も眠ってたのか』
【藍子】 『覚えてないでしょう?』
****
0165
【加納】 『ああ……まさか、ずっと看病してくれたのか? 病院に
引き取ってもらえばよかったのに』
【藍子】 『こんな小さな町だから病院も1つしかないし、病室だっ
て空いていないんです。それに、わたし加納さんのこと
……』
【加納】 『迷惑かけてしまったな……』
【藍子】 『いいえ、いいんです。全然構わないんです』
【加納】 『長い夢だったよ……ひどい悪夢だった……人がみんな死
んでしまうんだ……20年前と同じ様に妹も……』
【藍子】 『加納さん……安心してください……わたしはここにいま
す』
【加納】 『ありがとう……君はほんとに素敵な女の子だよ』
【藍子】 『そんな……』
【加納】 『でも、ほんとうにわたしは夢を見ていたのか……
また夢を見ているのじゃないだろうな』
【藍子】 『まだ、信じられないんですか』
【加納】 『ごめん……ずいぶんこみいった夢を見たらしくって』
【藍子】 『これでも、まだ夢だって信じられません?』
****
0166
【藍子】 『はあ……よかった』
【加納】 『処女じゃなかったんだね』
【藍子】 『がっかりしました?』
【加納】 『いや』
【藍子】 『わたしにも、兄がいたんです……いまは行方不明になっ
てしまったんですけど、その人に……』
【加納】 『そうか……』
【藍子】 『……ずっと鬼門館に行ってらしたんでしょう』
【加納】 『え? どうして知ってるんだ』
【藍子】 『わたし、遠い昔に住んでいたことがあるんです』
【加納】 『え?』
【藍子】 『ふふふ』
【加納】 『藍子ちゃん?』
【藍子】 『お気付きになりませんの、お兄様』
****
そして誰も救われない
