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「生きればいいじゃん」
作:津久井教生
語り:高畑充希
病気になりました。
ある日なんでもない道で、いきなり転びました。
間もなく階段が登りにくくなり、
普通に歩けていた駅までの道も、
途中で休まないと歩けなくなりました。
すぐに病院へ行きましたが、原因も病名も分かりません。
数ヶ月間に及ぶ経過観察の後に、
ようやく紹介されたのは脳神経内科でした。
どうやら厄介な病気のようです。
大学病院を紹介してもらい、検査入院をすることになりました。
このときすでに両手で杖を持っていないと歩けなくなっていました。
主治医の先生がにこやかに言いました。
「絶対に病気の正体を見つけましょうね」
私も妻もにこやかに答えました。
「よろしくお願いします」
一ヶ月を越える検査、また検査、そして検査を経て、
出来る限りのことを調べてもらいました。
ようやく病気の正体を突き止めました。
「名無しの権兵衛」と名づけて探し求めていた病名は…
「ALS(筋委縮性側索硬化症)」。
舌を噛みそうになる病名でした。
私は、この治療法のない「難病」と戦うことになったのです。
たった一年で歩けなくなり、
二年で楽器が弾けなくなり、パソコンのキーボードも叩けなくなりました。
三年で声が出にくくなり、呼吸も困難になりました。
精一杯かっこつけて、対症療法で抵抗してみたのですが、
難病紹介の冊子に書いてあったとおり、
少しずつ、少しずつ進行していく病気でした。
決断を迫られるときが刻々と近づいてきました。
このままでは呼吸が出来なくなるので、
それを防ぐために、気管切開という方法があります。
でも、この対症治療後には、
「声」を失うという事実、そして現実が待っています。
長年に渡り、「声」の仕事をしてきた私にとっては、
とても重く辛い選択となります。
思い悩み、考えて、思い悩み、考えて、
「49対51」の多数決により、
「気管切開はしない」と決断し、
私を支えてくれる大切な人たちへ伝えました。
もちろん、死ぬ気は毛頭ありません。
「そう生きていこう」と決めたのです。
でも実は、
「本当にそれでいいのだろうか?」
という不安や疑問を、心の中では拭い切れていませんでした。
そんなとき、呼吸困難で意識を失った私は、
奇跡的に息を吹き返しました。
主治医も「こんな人は初めてです」
というほどの奇跡的な復活だったのです。
そんな私へ、
目に涙をいっぱい溜めた妻が、優しい顔で言ってくれました。
「生きればいいじゃん」
温かい言葉でした。
私たち夫婦の合言葉になりました。
いつも一番そばにいて、
いつも一緒に戦ってくれている妻の一言は、
私の心を包んでくれたのです。
拭い切れていなかった不安や疑問が一気に解けて、
目の前の道がぱっと開けました。
そう、生きれば良かったんです。
あれこれ思い悩み、
どんどんとハードルを高くして、
いつの間にか、越えられなくなっていたのです。
高くなり過ぎたハードルは、
くぐってしまえば良い。
そう思うと、
気持ち良く前に進むことが出来ました。
気管切開をして一年八カ月。
今も呼吸は安定していますが、
ALSの病状は相変わらず、少しずつ進んでいます。
本当に凄い難病なのだと、患者として感じています。
きっとこの先も、色々なことが起こるのだろうと覚悟しています。
でも、この合言葉だけが、
これからも私の背中を押してくれると信じているのです。
「生きればいいじゃん」
「生きればいいじゃん」